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生命科学の研究者のブログ

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東京の桜ハイライト2013@東京BLOG

今年撮った桜の写真を貼る。

今週寒かったので桜は思ったより散らずに残っている。
桜の息が長いのはうれしいが、天気があまり良くなかったのは残念だった。
 
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集団主義の功罪

Youtubeの番組でKids reactというシリーズがある。
アメリカのTheFineBrosとかいう兄弟が作成して投稿している。

この番組が結構おもしろいのでたまにチェックしている。
一本の動画のタイトルがそれぞれ「Kids react to ○○○」となっていて、
特定の動画やテーマに関するアメリカの子供たちの反応をまとめている。

日本由来の文化を扱った回もある。






このシリーズ、最初は「Kids react」だけだったのだが、
その後派生シリーズとして「Teens react」「Elders react」
なんかも作られている。

Teens reactは高校生くらいの子供たちが特定のテーマに対して反応している。




Elders reactは文字通り「お年寄りの反応」だ





動画の中で、動画作成者が子供達に次々と質問を投げかけていくのだが、
よく瞬時に自分の意見を答えているなと思う。
当然そうやって受け答えできる子を雇っているのだろうが、
もしこの番組の日本版を作るとしたら、
こんなに面白い番組が出来るのだろうかと疑問に思う。

そもそも、顔出しで出演をOKしてくれる子はどれだけいるだろうか。

これにはまずネットに顔という個人情報を出すことにリスクを感じるという問題がある。
もしかしたら極端な視聴者からストーカー被害を受けるかもしれない。
確かにそうなっては問題で、拒否する気持ちもわかる。
しかし、もっと別の大きな問題があるんじゃないかと思う。

個人情報のリスク管理をしっかりしていても、
番組の視聴者が増えれば、学校のクラスメートには遅かれ早かれ必ずばれる。
そうなればクラスメートに自分の赤裸々な意見が知られてしまう。
実は多くの人にとってこれが大きな問題になるんじゃないかと思う。




日本人は集団の和を大事にする。
自分の望んでいることが集団の方向性に反する場合、
自分を押し殺して周りの流れに従う。

そういう背景もあってか、「自分が周りからどう思われるか?」
ということを過度に気にする人が多いんじゃないかと思う。
というか、実際自分もかつてそうだった。

例えば、質問されて自分の意見を言おうとする。
しかし、それを言葉に発する前に、
そういう意見を言うことで自分がクラスの皆にどう思われるかを考える。
その結果が芳しく無かった場合、別の無難な意見に変えて答える。

たぶん大多数の人でこういうことが起こるのではないかと思う。
欧米人にはそんな文化は無いので、
彼らは自分の思っていることを即座に答えてしまう。
もしかしたら、日本人の議論下手はこういう土壌があるからなのかもしれない。


振りかえると、特に中学生の時は、
周りから変な風に思われたらどうしよう、
馬鹿にされたらどうしよう、
というのが行動の規範になってた気がする。
今思えば本当にくだらないことを気にしていたなと思う。

日本におけるこういった集団主義というのは、
良い面ももちろんあるだろうが、基本的に息苦しいものだと思う。
異分子や際立つ個性に寛容で、互いに尊敬しあう方が心情的に楽だ。


最近読んだ小説で、似たような心理を上手く描いているものがある。
桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)
(2012/04/20)
朝井 リョウ

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昨年映画化されてアカデミー賞も取ったので知っている人も多いだろう。
たぶん誰もが心当たりのある高校生の集団心理を上手く表現している。
朝井リョウの作品を読むのは初めてだったが、
ぜひ他の作品も読んでみようと思う。


もし自分が子供を育てる時が来たら、
「誰かにどう思われるかなんて大した問題じゃないんだ。君は君で良いんだ」
と言ってあげたい。そんな時が来たらの話だが。

[英語] 発音の重要性

国際学会で発表を聴いていると、色々な英語を耳にする。
日本語にも地方や個人の個性で色々なしゃべり方があるのと一緒だ。

日本人の先生が英語で講演しているのもよく聴くのだが、
全く違和感の無い英語を話す人もいれば、
かなり癖があって聞き取り辛い先生もいる。

後者のような先生でも一応話している内容は理解できることが多い。
たぶん長年の経験で伝わる英語の要点を心得ているのだろう。

日本人の先生ではなくて大学院生とかだと、拙い英語をしゃべる割合がかなり多くなる。
それでも日本人の僕がそれを聴く場合は何となく理解できることもあるのだが、
一度とある非英語圏の大学院生が発表していて、
内容が100%理解できなかったことがある。
たぶんあの時の空気から察するに、
会場にいたネイティブスピーカーも理解してなかったと思う。

その人が話す英語は、何となく英語らしきものを話しているということは分かるのだが、
発音は何だが母国語の発音と混じっているのかめちゃくちゃだし、
アクセントやイントネーションもハチャメチャだった。

言語にはルールがある。
例えば発声に関するルールなら「発音」「アクセント」「イントネーション」
とそれぞれルールの階層があるし、
語順にかんしても「文法」というルールがある。

実はこれらのルールを完璧に順守しなくても通じるには通じる。
例えばアクセントやイントネーションが公式のルールに近かったら、
発音が日本人なまりでも文法が多少乱れていても、
意思疎通はできてしまう。

しかし、正確に伝えることを考えたら、絶対に発音は正しい方が良い

英語を聴くときには、それぞれが知っている英語のルールにのっとって、
耳から入ってくる音声を解釈する。
だから多少発音が変でもアクセントやイントネーション、文法の手がかりを使って、
意味を解釈できる。
けれども、それは発音という正しく解釈するための手がかりを一つ犠牲にしている。
正しいルールの発音で話したほうが手がかりが多く、
正確に理解できるに決まっている。

そして、日本人が発音のルールを学ぶ際にまず大事なのは、
日本語の発音と英語の発音は全く別物だということを理解することだ。
この点が日本の英語の義務教育に欠けている点だと思う。
今現在のカリキュラムは分からないが、少なくとも僕が学んだ時はそうだった。
発音の練習はほどほどにほとんど文法の勉強だったように思う。

例えば
see と she。 bought と vote

日本語にするとどちらも「シー」「ボウト」になってしまうが、
ネイティブスピーカーにとっては二つの単語は全く違う発音の単語で、
明確に区別できる。

個人的にはこういうルールは最初に学んだ方が良いと思う。
間違ったまま勉強を進めると変な癖がついてしまうから。

だから「使える英語」を勉強したいという方は、
まず英語の発音のルールを頭にしっかり叩き入れることから始めるのをお勧めする。
市販の教材を使ってもいいが、
Webでこんなサイトもある。

英語発音入門

このサイトで要点は網羅していると思う。

春です

春が来た!

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写真は昨日撮ったものだが、東京はどんどん桜が開花している。
見ごろは今週末だろう。
その次の週末(30~31日)には多分ほとんど散っていると思われる。

今年は史上最速タイの開花だそうで、2002年の開花日に並んだ。
2002年は、学校で卒業式がある日に桜が満開になったので、よく覚えている。
今年は1・2月が寒かったが、3月になってから急激に暖かくなったので、
開花が進んだようだ。

そして喜ばしい桜の開花のニュースと同時に、喜ばしくないものもやってきた。



ヒノキ花粉である。


自分はスギ花粉にはアレルギーが無いのだが、ヒノキ花粉にはアレルギーがある。
まるで高感度ヒノキ花粉センサーのようにヒノキ花粉が飛んでる日に症状が出る。
今日あたりから本格的に飛び始めたように感じる。

世の中良いことばかりというわけにはいかない。

イメージが先行することの危険性

前回の投稿でプルトニウムについて書いたが、
誤解を招きたくはないので、もうちょっと詳しく書こうと思う。

プルトニウムは放射性物質である。

放射性物質は放射線を放出する。

放射線は大量に浴びると人体に有害である。

よってプルトニウムも大量に人体に取り込まれたら有害だ。
実際に、過去に動物実験でプルトニウムにより発癌した例もある。
しかし、それはあくまで大量に投与した場合であって、
今の自然界からその量を摂取するのは不可能である。


それでは2011年当時のプルトニウムに対する反応はどんなものだったろうか。
以下は当時日本で最もフォロワーが多かったソフトバンク社長・孫正義のツイートだ。

驚愕!今、TV朝日のニュースで知った。原子力安全保安院は、プルトニュウム漏洩は調査していない事を認めた。「調査不要」との事!半減期が、2.4万年で最も危険なプルトニュウムを調査不要⁉ 何の為の「安全保安院?」
7:00 PM Mar 26th TwitBird iPadから


プルトニウムを「最も危険」と表現している。
この「最も危険」という表現は、
前回の投稿で書いたRalph Naderがプルトニウムに対して用いた典型的な表現だ。

もう一つ、当時色々なネットニュースで見られたプルトニウムに対するQ&Aからの引用を貼る。

Q プルトニウムの特徴は。
A 人体への影響が極めて大きいアルファ線を出し、呼吸などで体内に入ると骨や肺に沈着して、強い発がん性を帯びるため非常に厄介だ。同位体のうち、代表的なプルトニウム239の半減期は約2万4千年と非常に長く、体内に入ると放射線を出し続け、排出されにくい。核分裂を起こし膨大なエネルギーを出すため、核兵器の材料にもなる。


「極めて大きい」「非常に厄介」と言った言葉でその危険性が強調されている。
当時このように「プルトニウムは最も危険な放射性物質」という風潮が一時期広まった。
その後有識者によってその風潮は段々正されていくのだが、
この最初の風潮からプルトニウムに対して「猛毒」というイメージを持った人は結構いるのではないかと思う。
当時のように有名会社の社長や大手メディアにそう言われたらそう信じてしまうのも無理はないと思う。

しかし、放射線の知識がある人なら、
上に引用したプルトニウムの危険性について語った文におかしいところがあることに気づく。

まずプルトニウムの半減期が長いから危険であるように語っている点。
これは明らかな間違いで、反原発団体が扇動する核の危険性に踊らされている。

例えば1gのセシウム137と1gのプルトニウム239があったとする。
前者は半減期約30年、後者は2万4千年だ。
どちらが強い放射線を出すかというと、圧倒的にセシウム137だ。
半減期が長いということは、それだけゆっくり時間をかけて崩壊するということなので、
単位時間当たりの放射線量はその分弱くなる。

プルトニウムが人体に与える影響を議論すると、
最終的に「ホットパーティクル」が存在するかどうかという議論に行きつく。
ホットパーティクルというのは、これも反原発団体が主張する理論なのだが、
肺の中で小さなプルトニウムの粒子が特定の場所に留まり続け、
同じ場所に放射線を出し続けるので、そこで癌が発生するという理論である。
話だけ聞くと、それが起こっても不思議ではないかなと思うし、
尤もらしい説明である。
しかもこれが起こらないということの証明は悪魔の証明なので不可能だ。
したがって、まともな研究者なら「それは絶対に起こらない」なんてことは言えない。

反原発団体は、このことを利用して核に対してネガティブなイメージを扇動する。
しかし、それは人々にネガティブなイメージを植え付けるという目的を持った言論であり、
それは必ずしも科学的な事実を伴っていない。

例えば、ホットパーティクルが存在すると主張するなら、
その証拠や例を挙げる必要がある。
しかし、冷戦時代に軍拡に伴って盛んに行われていたプルトニウムの生体に対する影響を見る実験で、
ホットパーティクルの存在を示す結果は得られていない。

何より、ホットパーティクルの存在を否定する事実がある。
原発事故が起こる前から、
日本の各地の土壌で微量のプルトニウムが検出されているのをご存じだろうか。
日本に限らず、世界の土壌でこのプルトニウムは見られる。
プルトニウムは元々自然界には存在しないにも関わらず、である。
このプルトニウムは60年代までに核保有国で行われていた
大気圏核実験に由来する。
これが何を意味するか。
全国に飛散しているということは、
当時の大気中にプルトニウムの粒子が舞っていたということである。
つまり、当時生きて呼吸をしていた人はもれなくプルトニウムの粒子を吸っている。
もしホットパーティクル理論が正しければ、
その当時生きていた人には特徴的な肺がんが多発するはずだし、
大気圏核実験をしなくなった時期(70年代以降)
に生まれた世代からそのがんが見られなくはずである。
しかし、そんな事実は見られない。

これらのことから、プルトニウムが極微量でも人体に猛毒というのは、
科学的根拠や経験的事実の伴わない事であり、
福島の土壌からごく微量のプルトニウムが検出されたからって、
この世の終わりであるかのように騒ぐのは間違いである。

物事に対するイメージが頭に一度定着してしまうと、
それを変えるのはなかなか難しいことだ。
そのイメージに合うような事実を探したり、
イメージに合うように都合よく物事を解釈してしまいがちである。
しかし、そういう行動は論理的じゃないし、ありのままの事実を見てない。
一種の現実逃避だ。

匿名掲示板などで、人々が放射能に対して意地の張り合いのような言い合いをしてるのを見ると悲しくなる。
相手の意見を真摯に聞いて、間違いがあるなら素直に認めて、
建設的な議論ができるようになれば、
もう少しみんな幸せになるのにと思う。

3.11の記憶

あれからもう2年が経ったなんて上手く信じられなくて、
あの頃のことを昨日のことのように思い出す。

2年前も僕は東京にいて大学院生をやっていて、
決して被災地にいて被災したわけではない。
特段不自由な思いをしたわけではない。

それでも、余震が断続時に続く中、
ふとつけたワンセグに流れてきた、
鉛色の津波が仙台の沿岸部の街を飲み込んで行く映像を見た時の、
衝撃も手に取るように思い出せるし、
物流が止まったせいでスッカラカンになったコンビニの棚とか、
原発事故の現状を告げる暗いニュースに頭を悩ませた
どんよりとした日々は忘れることはないだろう。

原発の事態が深刻化してからは、
本当に頭を悩ませた。
あふれるように右から左から流れてくる情報。
いったいどれが本当の情報なのか。
一時期自分の研究そっちのけで、
放射性物質が人体に与える影響を調べていた。
大学という利点を生かして、原著論文もたくさん読んだ。

その結果、一部の極端な反原発団体が放射能に対して発する言葉は、
妄想の産物だという結論に至った。

一例を挙げてみよう。
3月の終わりころだったろうか、
原発の敷地から事故由来のプルトニウムが検出され、
「猛毒のプルトニウム」という言葉が各大手メディアにも踊った。

今でこそ「プルトニウム」で検索すると冷静な情報が目立っているが、
当時は「猛毒のプルトニウム」という言葉が独り歩きして、
プルトニウムの危険性が殊更に強調され、
それを見た一部の人はパニックに陥っているように見えた。
今でこそ編集されているが、
Wikipediaでも「猛毒のプルトニウム」という言葉によって、
その危険性が強調されていたと記憶している。

僕はプルトニウムが安全だと言いたいのではない。
しかし、プルトニウムが他の放射性物質と比べて、
特に危険だという確たる証拠はいくら調べても見つからなかった。

日本語のWikipediaには載ってないが、
英語版Wikipediaでプルトニウムを調べると、
興味深いことがわかる。

各メディアで強調されている
角砂糖数個分のプルトニウムが何億人も殺すといったような
「猛毒のプルトニウム」という言葉は、
Ralph Naderというアメリカ人によって語られ始めたということが分かる。
この男はアメリカの大統領選挙にも立候補している政治家だ。
医者でも科学者でもない。
さらに調べると、東西で軍拡が繰り広げられていた冷戦の真っただ中で、
Ralph Naderが政治運動として反核運動を繰り広げていたことが分かった。

つまり、Ralph Naderは選挙で票を得るために、
核兵器にも利用されているプルトニウムが、
人体にも猛毒だという恐怖心を民衆に植え付けようとした。

その試みはある意味成功した。
何故なら40年後に日本の大手新聞で大々的に引用されたのだから。

しかし、彼の言葉を引用した新聞社も彼自身も間違っている。
Ralph Naderの反核キャンペーンの後、
いくつもの学術的な論文で彼が強調するプルトニウムの危険性なんて存在しないことが証明されている。

それにもかかわらず、日本のメディアに間違った情報が飛び交ったのは、
Wikipediaやネットの情報をソースもろくに確かめずに記事にする、
記者の科学リテラシーの欠如のために他ならない。


プルトニウムの件は当時氾濫していた間違った情報のほんの一例で、
そのほかにも似たような間違った情報を目にする度に僕は頭を痛めた。

専門的知識のない一般市民がこの間違った情報を目にして、
必要のないパニックを起こすかもしれない。
それなら、正しい知識を与えて無駄な心労を無くしてあげるのが、
科学者の役割ではないのか?

僕は掲示板などで間違った情報を目にすると、
根拠となるソースを挙げて間違いを指摘する書き込みをするようになった。

地味だったが、これが結構大変だった。
誰かに対して「これが正しい情報だ」と言い切るためには、
信頼のおける文献を挙げれば良いが、
どの文献が信頼できるか判断するためには、
その分野における確かな知識が無いといけない。
おかげで震災後の数カ月で放射性物質が人体に与える影響にだいぶ詳しくなった。

それでも、やはり自分ではどうにも判断できないことはあるし、
まだまだ勉強不足を感じる。
震災を経験して、色々な人に勇気をもらったが、
それに対して何もできない自分の無力さを実感した。
いつか自分も社会に対して恩返しできる科学者になりたいと、
心に誓ったのでした。

地方病の話

昨日見つけた記事

【画像】山梨県の啓発ポスター(1971年作成)がマジで怖すぎな件wwwwww

甲府盆地や佐賀の特定の地域で見られた、
寄生虫による病気に関する話。

この寄生虫の発見から撲滅までの経緯を詳しく書いたwikiが秀逸
地方病 (日本住血吸虫症)

この病気の最古の記録や病気が蔓延する集落の様子に始まり、
明治期に入って病気の原因を突き止めるに至った詳細な経緯、
そして撲滅に至るまでの関係者の涙ぐましい努力がよく書かれている。
昨日読み始めたら一気に最後まで読んでしまった。

恥ずかしながらこれまでこの病気に関してあまり知識はなかったが、
この病気の撲滅に尽力した先人に敬意を表したい。

それにしても、wikiのこの文を読んで驚いた

有病地では水田や川に入ると足や手などが赤くかぶれることがあり、地域ではこれを泥かぶれと呼び[83]、この奇病を発症する者は、必ず泥かぶれを経て罹患することを農民は経験的に知っていた[84][地方病博士 2]。しかし、飲み水だとしても、人は水を飲まなければ生きてゆけず、皮膚からの感染だとしても、農民に「田んぼに入るな」と言うのは仕事を奪うことと同じである。農業を辞めたくても転職することが難しい、職業選択の自由など実質的にない時代であり、他に収入源のない小作農民は奇病の感染を恐れつつも、半ば諦観を持って水田での労働に就くという、いわば命懸けの米作りを強いられていた


なんだよそれ、悲しすぎるだろ。
病気にかかると知っていて、でもそれ以外に選択肢が無いから農作業を続ける。
そして宿命として病気になって死んでいく。
もう少し何とかならなかったのかなと思う。
諦観というのは自然災害の多い場所に住む日本人に特徴的な考え方だと思うけど、
それでも何百年もその地域だけに流行る病気があるなら、
病気を避けるために何か対策ができただろうと思う。

一方で、明治になって西洋医学が浸透すると、
するすると原因を解明してしまう日本人という民族を不思議に思う。


この事例は現代医学の発展のほんの一事例で、
19世紀から20世紀にかけて薬やワクチンの開発によって、
人類は数々の病気を克服してきた。
天然痘の撲滅などは有名だろう。
そういった感染症や寄生虫の心配のない現代に生きれることを幸せに思うと同時に、
未解決の医療問題を解決して、病気に困っている人々を救えるような研究ができたらと思う。



話は変わるが、この日本住血吸虫という寄生虫が興味深い。
人に寄生して産卵するのだが、
門脈に張り付いた状態で産卵するらしい。
なぜ他の血管でなくて門脈なのかというのも不思議だ。
門脈は小腸の静脈が集まって肝臓に向かう血管なので、
栄養価が高いからだろうか。それとも血圧がちょうどいいのだろうか。

産卵された卵は体内を巡って、毛細血管で詰まり、炎症を起こす。
その炎症が腸で起こると、卵が腸管内に出てきて、便と一緒に排泄される。

卵は体外で孵化し、幼虫は田んぼの用水路などで宮入貝の体内に侵入する。
そこで変態を起こし、セルカリアという形態になって貝の体外に出てきて、
それが人などの哺乳類に経皮感染して、そこで卵を産む。

要するにこの寄生虫は繁殖するのに宮入貝と哺乳類という二つの宿主が必要で、
そのどちらが欠けても繁殖できない。
仮に卵が人の体内で孵ったとしても、その幼虫は成長するのに宮入貝が必要で、
人の体内ではいずれ死んでしまう。
いったいどんな進化をしてきたんだろうと思う。
医学とはあまり関係ないが、こういう奇特な生物の進化の経緯を考えるのも面白い。

「若い」ということの儚さについて

先日のグラミー賞に関する投稿でも貼った、
FUN.のWe are youngという曲、
その投稿では一部の歌詞しか貼らなかったが、
歌詞を改めて見てみると結構繊細な所があるのに気づく。




一言で曲を表すと、やはり若者が飲み屋でパーっとやる話なのだが、
パーッと飲みたくなったのはそれなりに理由がある。

Give me a second I, 少し時間をくれ
I need to get my story straight 話を整理する必要がある
My friends are in the bathroom 僕の友達はトイレにいて
getting higher than the Empire State エンパイアステートビルよりも‘ハイ’になろうとしてる
My lover she's waiting for me just across the bar 僕を待っている彼女はバーの向こう側にいる
My seat's been taken by some sunglasses 僕の席はサングラス野郎に取られていて
asking about a scar, and 彼女の‘傷’について話している
I know I gave it to you months ago 何ヶ月か前に僕が与えた傷だよね
I know you're trying to forget 忘れようとしているんだろう
But between the drinks and subtle things でも酒と些細なことのせいで
The holes in my apologies, you know 僕もちゃんと謝れてなかったりで
I'm trying hard to take it back それを取り戻したいんだ
So if by the time the bar closes だからもしバーが閉まる時までに
And you feel like falling down 君が倒れこみたい気分だったら
I'll carry you home 僕が家まで送っていくから


男はバーにいて、数か月前に喧嘩別れした彼女と居合わせる。
男は実はまだ彼女のことが好きで、遠目に気にかけている。
本当はやり直したいのだけど、それを言い出せずにいる。
でも、もし彼女が今日酔いつぶれてしまったら、
家まで送って行ってあげよう。まだ彼女のことが好きだから。

という少し複雑な事情があって、男はパーッと飲もうとしてる。
そんな状況にいたら、飲みたくなる気持ちも分かる。
そしてそういう歌詞も踏まえて曲を聴くと、
「若さ」が放つ輝きのようなものを上手く歌っているなと思う。

グラミー賞の審査員も伊達じゃないな。

ちなみにこういう曲の雰囲気が好きな人には、
この小説をお勧めする。
少年たちの終わらない夜 (河出文庫―BUNGEI Collection)少年たちの終わらない夜 (河出文庫―BUNGEI Collection)
(1993/07)
鷺沢 萠

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大人でも無いけれど子供でもない、
そんな若者たちの輝きを描いた良い小説だと思う。



話は変わるが、We are youngの歌詞にある
My friends are in the bathroom
getting higher than the Empire State
というのは、トイレで麻薬を吸ってハイになっているということだ。
これが日本だったら、違法薬物を助長するとかで、
この曲がなんかの賞を取ることはなかったんじゃないかと思う。
こんな歌詞がある曲が最高峰の賞を取ってしまうのが、
アメリカのいい所でもあり悪いところでもある。

でも本来芸術は、社会的な通念とか思想からは切り離して評価されるべきだと思う。
そういうところで、欧米諸国と日本とでは芸術に対する姿勢が大きく異なっていると感じる。

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あぴと

Author: あぴと
生命科学の研究者。ポスドク。東京という街が好きです。
興味のあること:
生命科学、基礎医学、進化生物学、英語、読書、美術、音楽

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