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[小説] 「潮騒」 三島由紀夫

潮騒 (新潮文庫)潮騒 (新潮文庫)
(2005/10)
三島 由紀夫

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200ページ弱の短編小説だが、半分くらい読んだあたりから、この心温まるストーリーがどうか悲劇で終わらないでほしいという一心で読み進んだ。三島由紀夫の小説は他にもいくつか読んだことがあるけれど、これまで読んだ小説と一線を画す内容だったので驚いたが、同時にこんな話も書けるのかと三島由紀夫のイメージが変わった。

三重県の歌島(現在の神島)という離島を舞台にし、若い男女の恋を描く青春小説だ。印象的だったのは一人を除いてほぼすべての登場人物が美しく魅力的な側面を兼ね備えていたこと。色事には不器用ながらも真面目で誠実で優しい青年。その青年に思いを寄せる、裕福な家庭に育ちながらも公平で優しく健気な女の子。こっそり青年と会っているのがばれて、親から青年に会うのを禁じられながらも「私の心はあなたのものです」なんてしたためた手紙を毎日書いてよこすとは体中の皮下がむずがゆくなるくらい魅力的。思わずリア充爆発しろ!!!!!!!と現代風に罵りたくなるくらい魅力的。

離島で最新技術から取り残され、一見古風な風習と生活様式を持っているようでも、根幹の部分ではすごく人間的で優しく島民が描かれているのがとりわけ印象に残っている。こういう移りゆく技術や社会と無関係な人々の人間的な部分を離島という舞台を借りて強調したかったのではないかと推測する。

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「STAP細胞作製に成功した」とは何を意味するか

研究者Aがいたとする。

研究者Aは手に培養細胞が入ったシャーレを持っている。

研究者Aは言う。
「この細胞は、体のどんな種類の細胞にも分化できる魔法のような細胞です。」

本当だろうか。そんな魔法のような細胞があれば、どんな病気も治せるかもしれない。研究者Aの言うことがもし本当だったらすごいことだ。あなたは研究者Aの言うことが本当かどうか何とかして確かめたいと思うだろう。

しかし、研究者Aが手に持っているのは培養液が入ったひとつのシャーレに過ぎず、細胞の存在は顕微鏡を覗きでもしない限り確認することができない。そもそも顕微鏡を覗いた所で、その細胞がどんな種類にも分化できるということをどうやって確かめればいいのだろうか。細胞が話すわけでもないし、"万能細胞"と標識が掲げられているわけでもない。



研究者Aが正しいかどうか確かめるためには実験が必要だ。科学者・研究者は「この細胞は体のどんな種類の細胞にも分化できる」ということを示すために、何通りもの異なる方法を使って実験を行う。さらにその何通りもの実験方法それぞれに再現性があることを確認する。そうやってたくさんの実験を重ね、これだけのデータがあれば「この細胞は体のどんな種類の細胞にも分化できる」と主張しても構わないなと判断した時に、データを論文として投稿する。

論文は査読者の審査を受け、時に改訂が行われる。科学雑誌が論文を掲載に値すると判断したら、その論文は雑誌に掲載され、世界の研究者の目に触れることになる。

この時、論文を発表した研究者は、研究者でない一般の人々に自らの研究を分かりやすく説明するために、「体のどんな種類の細胞にも分化することができる魔法のような細胞を見つけた」とプレスリリースする。一般の人はそのプレスリリースを見て「魔法のような細胞が見つかったのか!それはすごい!」と反応する。

しかし、このような新しい発見に対する研究者の受け取り方は、一般人のそれとは異なる。研究者が論文を読む時は、何よりもその論文の図(実験結果)を重視する。なぜなら論文とは実験結果を発表するものであり、タイトルや要旨、背景などの本文はあくまで実験結果やそれらから導かれる尤もらしい結論を説明するために付随するものだ。

一般向けのプレスリリースは論文の結論を強調する。しかし実際の論文の意義としては実験結果の報告が主で、結論は著者が実験結果に付随させたただの解釈なのだ。

ここに研究成果に対する研究者と一般人の受け取り方の齟齬が生じていると僕は考える。

研究者が一般人に魔法のような細胞を見つけました!」という時、それをより正確に表現すると魔法のような細胞の存在を示唆する一連の実験結果が得られました!」ということを意味する。しかし、後者の回りくどい言い方は研究に馴染みの無い人に取っては分かりづらいので、普通は前者の言い方で済ませる。

一つの例を見てみよう。
山中伸弥先生と高橋和利先生が2006年に発表したマウスのiPS細胞作製の論文だ。iPS細胞はそれまでの生物学の常識を覆すまさに魔法のような細胞だった。

Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors. Cell. 2006 Aug 25;126(4):663-76. Epub 2006 Aug 10.

この論文には7つのFigure (図)がある。それぞれのFigureでどんな実験をしているのか簡単に説明すると、

Figure 1. 細胞に多能性遺伝子群を導入するとES細胞様に変化することを示した実験
Figure 2. 多能性遺伝子群の中でも4つの遺伝子がFigure 1の現象に必要十分であることを示した実験(山中因子
Figure 3. 山中因子で作製した細胞の遺伝子発現を調べた実験
Figure 4. 山中因子で作製した細胞の遺伝子発現を包括的に調べた実験
Figure 5. 山中因子で作製した細胞の奇形種(テラトーマ)形成能や試験管の中での分化能を調べた実験
Figure 6. 山中因子で作製した細胞をマウスの胚盤胞に注入し、個体発生に寄与できるか調べた実験
Figure 7. 山中因子で作製した細胞の生化学的、遺伝学的実験

これだけの、7つの別々の実験結果を報告した上で、「この細胞はどんな種類の細胞にも分化できる」ということを結論付けている。ニュースを見た人はiPS細胞ができたということにしか注視しないかもしれないが、iPS細胞ができたというのは実は数々の実験結果を総合した解釈だ。iPS細胞は発表後すぐに別の研究者によって再現され、今では世界中の研究室で使われる必須なツールとなっているので、発表当時の解釈は正しかったということになるが、論文によっては実験結果から導かれる解釈が間違っていたり、実験結果に穴があったりして、後にその論文の内容が覆されるということが多々ある。


昨今世間を騒がせているSTAP細胞についても、「STAP細胞は存在するのか、しないのか」という点に注目する方が大勢いるが、実際の問題はそう単純ではない。STAP細胞も多くの実験結果の積み重ねの上に得られた解釈だった。どんな実験があったかというと、

■Oct4-GFPマウスの細胞を酸処理すると緑色の蛍光が発することを示す実験
■緑色の蛍光を発した細胞にTCR再構成がみられることを示す実験
■上記実験で緑色の蛍光を発した細胞が多能性マーカーを高発現していることを示す実験
■酸処理した細胞が奇形種(テラトーマ)形成能や試験管の中での分化能を有することを示す実験
■酸処理した細胞を胚盤胞に注入することで個体発生に寄与できることを示す実験

などの実験があった。小保方さんが会見で「STAP細胞作製に200回成功しました」と言ったり、若山教授がインタビューで「自らの手でSTAP細胞の作製に成功しました。」と言う時、それらは実際には「上記いずれかの実験でSTAP細胞の存在を示唆する結果が得られた」ということを意味している。そして、論文の内容についての様々な疑義が明らかになり、論文が撤回されて論文の結論の後ろ盾が全て消えた現在、「上記いずれかの実験での成功」はすなわち「STAP細胞の存在」を意味しない

研究に馴染みの無い人は、若山教授がインタビューで自分とその学生が「自らの手でSTAP細胞作製に成功した」と語っているのを見て、なんだ若山氏もSTAP細胞を作製しているではないかと思うかもしれない。しかし緑色の蛍光の自家蛍光疑惑や、ES細胞混入疑惑が生じている現在、彼らが当時行った実験でそれらの疑惑と無縁であったことを証明できない限り、彼らがSTAP細胞の存在を示唆する実験結果を得たという事実は何の意味も持たない。一部の人は若山教授は何故過去に自らの手でSTAP細胞を作製したことを強調しないのかと疑問に思っているが、このような理由により過去のたった一度の成功を重要視していないからだと考えられる。

理研が現在行っている再現実験はSTAP論文に対して向けられた様々な疑義に答え、実際にSTAP細胞が存在したのかどうか確かめるために行われている。もしそこでもう一度STAP細胞の存在を示唆する実験結果が得られれば先の論文の結論が正しかった可能性を意味するし、そのような実験結果が得られなかったとなれば、STAP細胞は過去には存在せず、間違った実験結果解釈で論文を出してしまったということになる。

研究・科学の世界では、その世界にいないと分からないルールが結構ある。研究の目的の一つに社会への還元がある以上、一般の方への分かりやすい科学の説明は必要だし、そのために研究成果に本来存在する一定の情報が失われてしまうのは仕方のないことではある。しかし、社会現象となったSTAP問題で、科学の言葉を理解しないばかりに一部の研究者に対して不当な批判が向けられているのが最近目に余ると感じたのでこのエントリーを書いた。


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笹井先生の死を悼む

衝撃的なニュースだった。

こんなことになるなんて全く予想していなかったし、何故笹井先生がという疑問は今も解消されない。故人となられてしまった今となってはもうその答えを知ることはできない。笹井先生ご本人が関わる研究や教育で貢献できたかもしれないことを考えると、非常に大きな損失だと言って差し支えないと思う。何よりこれまで輝かしい業績を上げてきた世界でもトップレベルの研究者が精神的に追い詰められて自ら命を絶つに至った心情を思うと心が痛む。心からご冥福をお祈りしたい。

笹井先生が行ってきた華々しい研究成果は下記のサイトに良くまとめられている。

笹井芳樹博士が科学界に遺した、偉大な業績まとめ



この件に関することで、著名人のブログからいくつか心に残った言葉を引用したい。

理研CDBで笹井先生と近しい関係にあった西川伸一先生はAASJ活動記録でこう述べている。

ヨーロッパ旅行中に笹井さんの自死を電話で知った。今回の問題についての様々な意見を聞いていると、笹井さんが活躍していた生命科学領域の科学者コミュニティーは、科学者間の連帯が欠如し、むき出しの競争だけがある格差社会へと変貌していたようだ。勿論笹井さんも、そして私自身もこの様な格差社会成立に手を貸した一人だろう。しかしついにこの格差社会が牙を剥いた。連帯感がある時人は死なない。今この研究者社会を担っている世代に対して言葉はないが、若い世代の研究者は、競争はしても連帯感が損なわれない新しい研究者コミュニティーを目指して欲しい。



STAP細胞の件にかつてのCDB幹部として関わり、科学者コミュニティ内外の人とこの件に関して議論・意見交換する立場にあった西川先生の言葉には重みがあると思う。西川先生は現在の科学者コミュニティにはかつてあった"連帯感"が欠如し、むき出しの競争だけがあると述べている。これが具体的にどういうことを指すのかはこの文章だけでは分からないが、iPS細胞コミュニティとの間で存在したかもしれない軋轢や、STAP論文の発表を大々的に打ち上げざるを得なかった理研の競争事情などを指しているのかもしれない。

また、元東京大学医科学研究所教授で現在はシカゴ大学の教授である中村裕輔先生は自身のブログでこう述べている。

本来は科学的に検証すべきものが、最初に華々しく打ち上げすぎた反動や小保方晴子氏の頑として非を認めない姿勢によって、完全にワイドショー化されしまった。その結果、副センター長として、責任著者として、メディア(私には、報道という名に値しない、低俗なゴシップ屋としか思えないが)の矛先が向かっていただけに、その重圧に耐えられなかったのではないだろうか。



超エリートの笹井氏に向けられた悪口は彼の20年にわたる業績をすべて帳消し、マイナスにするだけの破壊力があった。今回の事件の責任は決して軽いものではないが、個人を死に追い込むような報道の在り方は、社会全体によるパワハラのように考えられてならない。



私は笹井氏のようなエリートではないが、根も葉もない批判を少なからず受け続けてきただけに、笹井氏の心境が全く理解できないことはない。「溺れた犬に石を投げつける」と言っても過言ではない、新聞や雑誌を売るための、視聴率を稼ぐための報道姿勢、そして、嫉妬を悪意に変換した学会などの過度ともいえる個人攻撃姿勢が改まらない限り、また、悲劇は繰り返されることになるだろう。研究者は、ある日突然、自分が悲劇の主人公になるかもしれない。



中村裕輔先生はかつて、がんペプチドワクチンの臨床試験に関して朝日新聞からまさに根も葉もない批判記事を書かれた経験がある(参考)。その経験と今回のSTAP騒動に関する各メディアや研究者によるバッシングを重ね、過度な個人攻撃が笹井先生の死につながったのではないかと述べられている。

さらにブログ一研究者・教育者の意見でも以下のように述べられている。

笹井先生はNHKスペシャルを見ていたのだろうか?もし私が笹井先生であれば、「論文への使用画像・グラフの7割が信頼性に乏しいか、加工の疑いがある」というミーティングに集った専門家たちのコメントと、自己点検検証委員会委員長の「一つの論文のために人生をかけてきたことを失った」という発言は、立ち直れないほどのショックだっただろう。前者は、研究者としての眼力が無いと言われたに等しく、後者によって、今後の自分の将来が無いことを痛感しただろう。これらに比べれば、ブログで述べた「メールのやり取りの公表」は嫌悪感を抱いたとしても精神的影響はそれほどでもない。



これらのブログでは今回の件に関してメディアや研究者による個人攻撃の度が過ぎたという点で一致している。

一方で、STAP騒動に関して厳しく批判を行ってきた研究者の行為を「魔女狩り」と称し、それが笹井先生の死につながったとしてその研究者を厳しく批判するという批判の連鎖の構図ができているように思う。

西川先生の"連帯感の欠如"という言葉が身に染みる。

どうすれば良かったのだろう。今後どのようにしていけば良いのだろう。他人ごとではない。研究者の一人としてこの事件を忘れてはならないし、しっかりと考えていかなくてはならないと思う。

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あぴと

Author: あぴと
生命科学の研究者。ポスドク。東京という街が好きです。
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