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生命科学の研究者のブログ

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自己表現の場としての研究

研究者の道を選ぶ理由として様々なものがある。

例えば、「〇〇病の治療法を開発したい」とか「〇〇の謎を解き明かしたい」など、研究対象の明確な目標を持って研究者を目指すパターン。それから、単純に未知のものを発見するのが楽しいからというパターン。「教授になりたいから」と地位を目標にする場合もあるだろう。

正直、収入や安定の面ではアカデミアの研究者は決して魅力的な職業ではない。博士を卒業する20代後半まで無収入の場合だってあるし、その後も決して安定が約束されるわけではない。博士のワーキングプアが問題になっていたりする。上手く軌道に乗れたとしても、現代はずっと結果が要求される厳しい世界だ。そんなリスクを知った上でも研究者になりたいという人には、それなりの研究に対する思い入れがあるはずだ。

僕自信が研究者を目指すようになった経緯は色々とあるのだが、ここでは僕が研究者が魅力的だと思う一つの側面に注目したい。

自己表現の場としての研究

例えば芸術家や小説家という職業が自己表現を仕事にしているという事には異論は無いだろう。彼らは自らの考え方や哲学を音楽なり絵画なり小説なりの形にして表現している。

僕は「研究」にもそのような自己表現の場としての性質があるように思う。

自己表現という言葉には、何も無い所からオリジナルなものを作りだすというイメージがあるので、こう言うと研究結果を捏造しているという意味にも取れるかもしれないが、僕が言いたいのはそういうことでは無い。

例えるなら、「芸術としての写真」に近いものがあるだろう。写真にも芸術としての側面がある。写真家は、世界をどのように切り取って一枚の写真に収めるかということに自己を表現している。しかし、そこで写真として切り取るものはあくまでもそこにある風景であったり人物であったり、実在しているものだ。

研究も、研究対象としてはすでに存在してる生物現象だったり物理現象だったりがあり、それをどのように切り取って論文にするかというプロセスがある。そのプロセスには紛れもなく研究者の考え方や哲学が反映される。学術論文は、研究者が「自分はこうやって世界を切り取り、記述した」という自己表現の場だ。

もちろん、科学は芸術とは全く異なる性質を持つ。再現性のある実験結果に基づき、対象の現象を論理的に記述していく。しかし、一つの現象を記述するにも、その現象をどのような角度から捉えるか、どのようにアプローチするか、それをどういう言葉を使い、どういう構成でプレゼンテーションするか、そこには無限通りとも言える記述の仕方がある。そして、それはこれまで誰も記述してこなかった未知の世界なのだ。論文は研究者が自ら切り開き、開拓してきた新しい世界の歴史でもある。

研究には、自らの考え方・哲学に基づき仮説を立てて実験を組み、観察し、考察して新しい現象を発見する喜びがある。これまでの人類で誰も知ることが無かった世界の新しい部分を一番に見つけ、論文として表現する喜びがある。その喜びはとりもなおさず自己表現の喜びではないだろうか。そんな喜びがあるからこそ、人は研究者を目指すのではないだろうか。

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Author: あぴと
生命科学の研究者。ポスドク。東京という街が好きです。
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生命科学、基礎医学、進化生物学、英語、読書、美術、音楽

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