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笹井先生の死を悼む

衝撃的なニュースだった。

こんなことになるなんて全く予想していなかったし、何故笹井先生がという疑問は今も解消されない。故人となられてしまった今となってはもうその答えを知ることはできない。笹井先生ご本人が関わる研究や教育で貢献できたかもしれないことを考えると、非常に大きな損失だと言って差し支えないと思う。何よりこれまで輝かしい業績を上げてきた世界でもトップレベルの研究者が精神的に追い詰められて自ら命を絶つに至った心情を思うと心が痛む。心からご冥福をお祈りしたい。

笹井先生が行ってきた華々しい研究成果は下記のサイトに良くまとめられている。

笹井芳樹博士が科学界に遺した、偉大な業績まとめ



この件に関することで、著名人のブログからいくつか心に残った言葉を引用したい。

理研CDBで笹井先生と近しい関係にあった西川伸一先生はAASJ活動記録でこう述べている。

ヨーロッパ旅行中に笹井さんの自死を電話で知った。今回の問題についての様々な意見を聞いていると、笹井さんが活躍していた生命科学領域の科学者コミュニティーは、科学者間の連帯が欠如し、むき出しの競争だけがある格差社会へと変貌していたようだ。勿論笹井さんも、そして私自身もこの様な格差社会成立に手を貸した一人だろう。しかしついにこの格差社会が牙を剥いた。連帯感がある時人は死なない。今この研究者社会を担っている世代に対して言葉はないが、若い世代の研究者は、競争はしても連帯感が損なわれない新しい研究者コミュニティーを目指して欲しい。



STAP細胞の件にかつてのCDB幹部として関わり、科学者コミュニティ内外の人とこの件に関して議論・意見交換する立場にあった西川先生の言葉には重みがあると思う。西川先生は現在の科学者コミュニティにはかつてあった"連帯感"が欠如し、むき出しの競争だけがあると述べている。これが具体的にどういうことを指すのかはこの文章だけでは分からないが、iPS細胞コミュニティとの間で存在したかもしれない軋轢や、STAP論文の発表を大々的に打ち上げざるを得なかった理研の競争事情などを指しているのかもしれない。

また、元東京大学医科学研究所教授で現在はシカゴ大学の教授である中村裕輔先生は自身のブログでこう述べている。

本来は科学的に検証すべきものが、最初に華々しく打ち上げすぎた反動や小保方晴子氏の頑として非を認めない姿勢によって、完全にワイドショー化されしまった。その結果、副センター長として、責任著者として、メディア(私には、報道という名に値しない、低俗なゴシップ屋としか思えないが)の矛先が向かっていただけに、その重圧に耐えられなかったのではないだろうか。



超エリートの笹井氏に向けられた悪口は彼の20年にわたる業績をすべて帳消し、マイナスにするだけの破壊力があった。今回の事件の責任は決して軽いものではないが、個人を死に追い込むような報道の在り方は、社会全体によるパワハラのように考えられてならない。



私は笹井氏のようなエリートではないが、根も葉もない批判を少なからず受け続けてきただけに、笹井氏の心境が全く理解できないことはない。「溺れた犬に石を投げつける」と言っても過言ではない、新聞や雑誌を売るための、視聴率を稼ぐための報道姿勢、そして、嫉妬を悪意に変換した学会などの過度ともいえる個人攻撃姿勢が改まらない限り、また、悲劇は繰り返されることになるだろう。研究者は、ある日突然、自分が悲劇の主人公になるかもしれない。



中村裕輔先生はかつて、がんペプチドワクチンの臨床試験に関して朝日新聞からまさに根も葉もない批判記事を書かれた経験がある(参考)。その経験と今回のSTAP騒動に関する各メディアや研究者によるバッシングを重ね、過度な個人攻撃が笹井先生の死につながったのではないかと述べられている。

さらにブログ一研究者・教育者の意見でも以下のように述べられている。

笹井先生はNHKスペシャルを見ていたのだろうか?もし私が笹井先生であれば、「論文への使用画像・グラフの7割が信頼性に乏しいか、加工の疑いがある」というミーティングに集った専門家たちのコメントと、自己点検検証委員会委員長の「一つの論文のために人生をかけてきたことを失った」という発言は、立ち直れないほどのショックだっただろう。前者は、研究者としての眼力が無いと言われたに等しく、後者によって、今後の自分の将来が無いことを痛感しただろう。これらに比べれば、ブログで述べた「メールのやり取りの公表」は嫌悪感を抱いたとしても精神的影響はそれほどでもない。



これらのブログでは今回の件に関してメディアや研究者による個人攻撃の度が過ぎたという点で一致している。

一方で、STAP騒動に関して厳しく批判を行ってきた研究者の行為を「魔女狩り」と称し、それが笹井先生の死につながったとしてその研究者を厳しく批判するという批判の連鎖の構図ができているように思う。

西川先生の"連帯感の欠如"という言葉が身に染みる。

どうすれば良かったのだろう。今後どのようにしていけば良いのだろう。他人ごとではない。研究者の一人としてこの事件を忘れてはならないし、しっかりと考えていかなくてはならないと思う。

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