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生命科学の研究者のブログ

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研究者とネットと人々

震災の後、放射能について一時期徹底的に調べ、ネット上で間違った情報を見かけるとコメントやレスでしらみつぶしに訂正してくという作業をやっていたことがある。

当時の僕は、溢れる情報に惑わされる人々に心を痛めていて、津波に原発事故と立て続けに災難に遭った社会のために何かできることはないだろうかと考えていた。考えた結果、自分の研究者の端くれとしてのスキルが活かせるのは、世間に出回っている情報の中で明らかに科学的な間違いがあるものを指摘することではないかと思い当たった。残念なことに当時は政府の信用が地に落ちていたので、人々は政府には騙されまいと情報に過剰に敏感になり、一部の人は明らかに行きすぎな反応をしていた。どう行動するかは各人の自由だが、明らかな誤報に対して根拠を示して誤りを指摘することで、惑わされている人々にとって少しでも良い判断材料になれば良いと思っていた。

例えば放射能を表す単位の読み方や変換方法も知らないどこかの市議が、米軍の資料を読み間違えて筋違いのブログ記事を書いているなら、元資料を精査してコメントで誤りを指摘し、その記事を拡散している掲示板でも理由を付けてレスを付ける。たかがそれだけの事だったが、そんな記事でも場合によっては何千人という人の目に触れるし、やらないよりましだろうと思っていた。僕一人の手が届く範囲は限られているし、数多くの匿名コメントの一つだったから、どれだけの影響力があったかは未知、というかたぶんほとんど無かっただろう。それでも僕が書いたコメントに対するポジティブな反応もあると、少なくともその人達に対しては影響が多少でもあったと思うことができた。

これらのことを通して学んだことは少なからずある。まず何かを主張することの大変さだ。たった一つのことを言うためにも、原著論文を何本も読み、関連情報を検索し、自分が導いた結論が誤りでないということを確かめる必要があった。これまでの自分の感覚に照らし合わせてこれは確実だろうと思ったことも、そのことを徹底的に調べる過程で「確実に正しい」と言えないからそのことについては判断を保留することも多々あった。

それから人と議論することの難しさだ。徹底的に調べて自分が間違っていない確信があることで議論しても、相手が「そうなんですね、私が間違っていました。考えを改めます。」と折れることは極稀なケースと言っていい。僕が自分の主張に自信があるように、相手も自分の主張に自信を持っている。僕からするとどう見ても妄想の世界に住んでいるような人でも、当人はそれが絶対の正義だと思ってやっているので、どんなに根拠を挙げて丁寧に説明しても絶対に納得しない。民主主義のシステムを作った人もこういう妄想の世界の住人の意見をどうするのか困っていたのかなと昔の人に思いを馳せた。そんな時でも、そのやり取りを見た第3者がどっちに説得力があってどっちが信じるに足りるのか判断してくれれば良いと思ってもいた。

当時僕はTwitterアカウントやブログはやっておらず、ひたすら匿名でコメントしていた。そんな僕がアカウントを持ってないTwitterで行き当たって感服し、思わず保存したツイートがある。@PKAnzugさんが放射性物質と鼻血の関係について議論していた時だと思う。

もう一つは、私は権威で納得させるような真似はしたくないんですよ。「実名の核医学医師が言ってるんだから信じる」ではなく「論理的で詳細な説明を読んで納得した」であってほしいんです。技術や説明の確かさで生まれるのは信頼ですが、肩書きで生まれるのは信仰ですから。あなたは「被曝の起こってる前線で頑張る立派な医師」という肩書きによる権威付けをよくしますが、実はこの権威には意味がありそうでありません。次はこのことを書きます。@PKAnzug 2011/06/22 11:54:45

僕はこの一連のやり取りを見て、これこそ科学者のあるべき姿だと思ってそれ以来ずっと心に留めている。「誰が話しているか」ではなく「何を話しているか」で内容を判断したい。そして僕も人々の検分に耐えうる言説を出すことで信頼を得たいと思った。

(そんな心がけをしながら、STAP騒動で早速権威に騙されてしまうことを経験したのだけれども・・・)

当時の僕個人の影響力は0に近いものだったのかもしれないけど、ネットを見ていて説得力のある議論をしてくれる専門家がたくさんいることを心強いと思った(@PKAnzugさんもその一人)。当時政府は情報の出し方を誤り、市民の信頼を失った。情報の足し方を誤った理由の一つは、情報を扱う市民を信用していなかったからだと思う。しかし、政府は間違っていた。少なくともネットを自由に扱える人は、信頼に足る専門家の情報にアクセスできたし、多くの市民はそれを分別する目を持っていた。その点は当時ネットを見ていて、日本人の教育レベルも捨てたもんじゃないなと思った。同時にネットが専門家と市民をつないでいるのを見て、科学と社会の関わりも新しい時代に入ったんじゃないかと感じた。




そんな3年前の思い出をふと思い出しましたとさ。

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Author: あぴと
生命科学の研究者。ポスドク。東京という街が好きです。
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